10月28日、またも寒さが深まった、すでに晩秋の一日。
僕は先週の土曜日から少し風邪気味だったので、
一層、冷え込みがこたえました。
今日は思いつきネタですが、
でもミュージシャンとしての僕の一番、深い部分にかかわる話かもしれません。
僕は弾き語りジャズ・ピアニストを標榜しています。
ジャズとピアノ弾き語りという、二つの基本的な枠組みの中で演奏活動をしています。
いわゆる表層的な意味でのジャンル名としてのジャズに対するこだわりはありません。
ポップス、昭和歌謡、アニソン、J POP どんなジャンルの曲でも、
詩とメロディーに惹かれ、そして納得できれば、
独自のアレンジを考え、練習を重ね、レパートリーとして取り入れます。
それから仕事として、アマチュアのポップス・シンガーの方の伴奏サポートもします。
この仕事も、弾き語りジャズとはまた違った楽しさがあります。
演奏するというフェイズでは、ポップスでもなんでも楽しめるのですが、
ところが、聴くというフェイズでは、ポップスを聴くことは、
僕にとってかなり苦痛を伴います。
時には吐き気をもよおすくらい嫌です。
ですのでポップスの方との共演の時に、
参考音源を送信してもらうことも多いのですが、
テンポと曲の構成を確認すれば、あとは聴きません。
何で、こんなにポップスが嫌なんだろう、
演奏する段階では楽しいのに。
このひねくれた感覚に対して、我ながらもてあましています。
最近、少し気がついたのですが、
多分僕は、ポップスの音源で採用されている、サウンドが死ぬほど嫌いなようです。
殆どのポップスは、電気的に拡張され、電子的に加工されたサウンドが、
アンサンブルの中心を占めます。
そしてその音響の拡張と加工作業ですが、
ずばり、インダストリアル(産業指向的)に行われます。

多分僕は、ポップスのサウンドの中心を占める、
産業指向丸出しの音響に対して、本能的な嫌悪感を感じているんだと思います。
ですので、ポップスの曲を、生声と生ピアノにアレンジして演奏することは、
とても音楽的に感じますし、大好きです。
インダストリアルに生まれた音楽に、新たに人間としての新たな解釈を加えるのです。
リスナーとしての僕は、クラシックが大好きなのですが、
もちろんそれは、クラシックが音楽として素晴らしいということもありますが、
クラシック音楽の演奏家の鍛え上げた音響の素晴らしさに対して、
感銘を受けているということもあります。
恐らく譬えるのであれば、
僕にとってポップスのサウンドは、
食品添加物によって過剰な魅力が足されてしまった加工食品のようなものです。
人間の美しい音響に対する修練の成果としてのサウンドではなく、
多くの人びとの聴覚を惑わすような電子的なデヴァイスの活用、
ここに僕は、言い知れない嫌悪感を感じているようです。
もっと気楽に音楽を聴くことができればよいのですが、
しかし僕にとって僕の聴覚官能は、僕のアイデンティティーの中核の一部です。
やっぱり妥協できません。
味覚に関しても多少は鋭くなりましたが、
たまに菓子パンを食べてしまいます。
でも、野菜をコトコト炊いたスープや鍋モンの味は、
ホンマに最高ですよね。
特に60を過ぎてから、かぼちゃとジャガイモが大好きになりました。